6章 ビジネスブレークスルー/ Bond-BBT MBAプログラム(2002−2004年):
 

●レスターMBAで、「個の確立をサポートする
 事業」を実践することを決意した私だが、
 未だ起業には踏み切れなかった。
 それは、自動車ビジネスとは全く関係の無い
 分野に出て行く話であったからだ。
 思い切ってアメリカに渡ることも考えたが、
 2人の息子を抱えてリスクがあまりにも高い。


●未だ風が吹いていない。
 そう感じた私は、偶々新聞に募集広告が
 出ていたビジネスブレークスルー(BBT、
 大前研一氏社長)に応募しており、ここの
 採用試験に合格したので、何かの「縁」が
 あるのだろうということでお世話になることに
 した。
 MBA事業を中から見る絶好の機会でもあった。

●後から聞いた話であるが、私は100人以上の応募者から選ばれたようである。
 ここで選ばれていなければ、私の今の状況は無い。このように「縁」というのは不思議な
 ものである。
 努力してもだめな時がよくあるが、それは結果として「縁」が無かったということであろう。


●グロービス堀代表にきちんと仁義を切って、やはりこの時も半信半疑でBBTに入社した
 私だったが、ここに転職して本当によかったと思う。
 それはBBTは「宝の山」であったからである。
 大前研一氏はもちろん「世界の大前氏」だが、そのコンテンツに触れて、知れば知るほど
 これはすごいと舌を巻いた。
 それは、BBTのコンテンツにはhonesty(真摯)とdiscipline(哲学)があるからだ。
 真摯というのは、ものごとを真摯に捉えて、真摯に解決策を見出す姿勢のこと。
 哲学とは、学問に王道は無く、本当に力をつけるには徹底して演習を繰り返すしかないと
 いう考え方である。
 これが、この会社にはあった。これはまさしく私が人材開発に求めていたものであった。


●BBTでは執行役員として、Bond-BBT MBAプログラムの統括と法人開拓を担うことと
 なったが、なかなか大変な仕事である。
 しかし、三菱商事では現場(海外駐在)で鍛えられていたので、あまり不安はなかった。
 私が入社した2002年7月には、未だBBTは大前氏のビルのマンションの一室のような
 事務所で仕事をしており、プログラムそのものも未だシステムが発展途上であったので、
 問題山積の中でのもぐら叩きの様相を呈していた。


●しかし、問題を1つずつ潰して、関係者は上司・部下の分け隔てなく付き合い信頼関係を
 作って行くうちにうまく行くようになったと思う。
 最大の難関は法人開拓であったが、これも持ち前の粘り強さで少しずつ採用する会社が
 増えて来た。
 1日3社を開拓するべく挑み、最初はアポイントさえ取れなかったが、次第にコツを覚えて
 いった。
 又、概して保守的な企業・人事部の担当者を説得して先方人事部の制度に入れるのは、
 幾つものハードルを越える必要があり、これをあの手この手で説得して行くうちに応酬話法の
 スキルなどが身に付いて、総合的に説得力を増すことができたのは、貴重な経験であった。